まるい夢の中で

スッピンを観ました。
なんだかどこまでも微妙な話になる気が既にしています。すみません。

ちなみにコンサート本編はまだ観てません。ディスコスターさまを直視する覚悟がまだ出来ていない。


一回観た感想としては、嵐って本当に賢く清らかなグループだなぁ、と。


たこ焼きも、ディスコスター担達の挑戦も、天然の誕生日も、このタイミングで映像にする事に驚きました。

一番印象的だったのは、冒頭の松潤打ち合わせシーンを翔くんが撮影していること。

今まで一番前に立ってコンサートを作ってきた松潤に対していろんな声があった事も、もちろん彼らは知っていると思います。
翔くんは各セクションのスタッフと打ち合わせする松潤を、そして自分もその打ち合わせに立ち会っている様子をファンに見せることで、その責任を松潤一人に負わせないようにしていたように見えました。

完全に私の妄想ですけど、翔くんは過去に後悔はしてないと思うけど、悔しさは持ってるんじゃないかと思ってます。
誰かが悪役にならなきゃいけなかった昔に。そしてその悪役が(本人たちの意思だとしても)年下二人になる事が多かった事に。
もちろんそれはメンバーの個性の確立に不可欠だったと思うし、間違いじゃなかったと思います。
でも、翔くんのような正しく強い人にとっては全てが納得できることでもなかったんじゃないかと勝手に考えています。

少し脱線するけど、翔くんがその撮影役というのもさすがだなーと思います。
にのや相葉くんがそんな気を遣ったら、松潤は絶対嫌だろうから。
そして大野さんはそういう事をするべき人じゃないと思うから。
松潤があらゆる面で甘んじることができるのは翔くんだけな気がする。そしてそういうニュアンスを全員が感じているんだろう。
気を遣いながら、気を遣われている事を感じながら、上手に折り合いをつけるのが嵐だなぁと思います。
脱線おわり。


そしてそんな過去を経た嵐は、誰一人として悪者にせず、どこまでも正しいグループとして前に進んでいこうとしているように見えました。

なんというか、丸い。
ところどころあった角を一つ一つ時間をかけて削っていって、ひっかかりのない球体にしたイメージです。

ちょっとはみ出したように見えるもの(たこ焼きとか)だって、さらにその周りを大きな丸で包んでるように感じます。

もはやどこにも彼らの無意識はないんじゃないかと思いました。
ひとつの言葉、ひとつの動きの全てに統一された意思が働いてる。


なんか怖い話みたいになってしまった。

別に私はそれが悪いこととか冷たいこととは思いません。むしろ嵐というプロジェクトの大きさや精密さに感動すらしました。

もしかしたら少しさみしいことなのかもしれないけど。


とにかく彼らのコンサートが見たい。これだけ賢く上手に自分たちを使うことのできる嵐の、100%作り物の世界を見たいと思いました。なんと商売上手。

そしてその一方で、コンサートがあの人たちの本当の心を見せてくれる唯一の場所な気もしています。
頭が良く綺麗な彼らの本当の心のありかを、つい探そうとしてしまう私がいます。
見えない球体の中ではしゃぎながら、その外側も夢見てしまうばかな私を許してほしい。
いや、それも許してくれるからこその今の嵐なんだろうなぁ。
やっぱりちょっとさみしいかも。


という事で意を決してコンサートの方も見ようと思います。まっててディスコスター様。