愛と感謝を込めて

2015年嵐について思ったこと。
完全に日記ですし、すごく根暗な話です。一応結論はポジティブなんですけど、すみません。


去年の始めから、私は嵐のファンをもう続けられないかもしれないと思ってました。
ファンっていうとちょっと違うかな。テレビとかは見るし楽しめるんだけど、嵐の曲を聴いたりコンサート映像を見たりするのが辛くて仕方なくなっていたので、コンサートにはもう行けないかな、と思っていました。
去年の記事を見ると、コンサートに行ったりDVD見たりしてはずーっとぐだぐだ言っているのでよく分かると思うんですけど。

一番の理由は、やっぱり嵐の規模が大きすぎるから。
流れてくる情報が多すぎて、そして情報が増えれば増えるほどどんどん私の中の嵐とメディアで見る嵐が離れて行きました。
嵐はいつも今を大事にしていて、今いるファンを大事にしていて、それは分かってたけどやっぱり嵐が大きくなった事で守らなきゃいけないものが増えている事は実感せざるを得なくて。
私もそういう事に過敏になって、戸惑ってばかりでした。

それと一緒にコンサートは行けなくなるばかりで、たくさんの人がチケットをめぐっていろんな思いをする事になって。
新規とか古参とかそのあたりの話は省きますけど*1、まぁ本当にいろいろあって。

私はそういう悲しさを乗り越えてでも嵐を見続けられるのか、とにかく自信がなくなっていました。
何もかも変わらないなんてありえないし、変わっていくべきだと思います。ただ変化が急激なだけで、誰も何も悪くない。だからこそ辛い。

前にも書いたけど、私はあくまでただのファンとして応援したいんです。
嵐はアイドルで、私は好きで勝手に応援してるだけなんだから。その関係はきれいなものじゃないし、ていうか言ってしまえは無関係だし嵐と一緒に何か乗り越えたわけでもない。彼らは近い存在でもなんでもない。
でも、当たり前だけどファンにはいろんな人がいて、嵐は相変わらず誠実で。

最低だけど、嵐が優しい事が本当に苦しかった。もう調子に乗ってよ、あぐらかいてよ、楽してよ。そうなったら私は離れられる。嵐は本当にすごいね、って遠くから見ることができる。

2015年の夏くらいまで、そう思ってました。


つづく。

*1:私自身は何も思ってないんですけど。趣味なので各々自由であると同時に自己責任だと思います