将来の夢について

MOREの大野さんが相変わらず正直者すぎてビビっています。

仕事は自分のためにやってるっていう感覚が、もうないんだよね
何の欲もない世界に住みたい
そんなおじいちゃんになることを夢見て、今はここにいることを楽しむよ
だって。

大野さんが働いてる場所なんて、もう欲が渦巻く世界の最たる例じゃないですか。業界人ではないので知りませんけど。
こんな事を考えながら日々光を浴びているのか。すごいなぁ。


大野さんが辞めたくて逃げたくて悩んでて、でも10周年でたくさん祝ってもらえて、それで嵐を選んだっていう話は15周年の時にも話していました。
それってこういう感覚だったのか。

大野さんを責める気持ちは一切無いんですけど、言葉を選ばず言えば、諦めてるように、大野さんの自己犠牲によって仕事が成立しているように、そういう風にも取れてしまう。

本意はどこにあったとしても、こんな危うい発言をしちゃう大野さんは本当に気持ちに正直な人だなぁ。あの世界ではなかなか難しい事なんじゃないでしょうか。

大野さんはマイナスな気持ちだけで嵐を選び続けているわけではないと、もちろん思っていますが。


でも、大野さんに限らず、嵐ってこういうところあると勝手に思っています。
10周年前後から、皆「夢みたい」「信じられない」というような発言をよくしていた。
老後は孫にたまに会うくらいで何もしない生活をしたい、みたいな事を翔くんが言っていたのも覚えています。出処は忘れましたすみません。

きっと皆、いつかの平穏を夢に見ながら今を走ってるんだろうなぁ。
華々しい世界にいる時間なんてとても限られているからこそ、その時間が本当に輝いて見えるし、応援したくなります。
性格に難のある私は、そういう諸行無常や切なさを感じさせる嵐が好きなのです。


今日からアリーナツアーですね。
私は落選したので行けないんですが、なんだか今回はあまり落ち込みません。システムの良し悪しは関係なく、なんとなく諦められる。ありがとう顔認証。

このツアーで、嵐の人たち自身が嬉しく思えること、幸せに思えることが少しでも多くある事を祈っています。

愛と感謝を込めて 2

つづき。


そんなこんなで色々考えながら、宮城ブラストに行ってJaponismに行って宮城ブラストのDVDを見ました。

そして、あー私、悲観的になりすぎて本当に偏重的な見方をしていたな、恥ずかしいな、と思いました。

ブラストで、翔くんがchapterIIを歌って「君たちとなら歩いてく」って言ったこと。空いた時間を埋めるみたいに、アクセントダンスでTime以降の各メンバーのドラマ主題歌をいっぱい歌ったこと。最後に翔くんが空に向かって「ありがとう」って言ったこと。本編終わりに嵐コールを嵐自ら促したこと。
Japonismで、もう非ジャニオタがファンの大半を占めてるんじゃないかって思えてしまう嵐がジャニーズ原点回帰を謳ったこと。あのソロの演出。
それからアリーナツアーを決めたこと。
全部全部全部。


嵐は、今ファンの中にある多くの差を、どうにか埋めようとしているみたいに見えました。

それは嵐を見てきた時間の違いだったり、そもそもジャニーズに対しての認識の差だったり、地方の壁だったり、本当にたくさんあると思うけど、そういうのを出来る限り小さくしようとここ数年してきたのかなぁと。

去年末に出たduetで、嵐の皆さんは理想のアイドル像について「それはファンが作ってくれればいい」と言っていました。
これってすごく私の好きな嵐です。
たくさんの制限や選択肢がある中で、決めるのは私たちなんだって言ってくれる。

私は嵐の今を大事にする気持ちに対してすごく偏った見方をしていた。*1
前の記事で感じたような嵐像のギャップは、ただ私が嵐についてちゃんと見たり考えたり選んだりする事をしてなかっただけだった。

実際嵐は自分たちから離れて行く人を引き止めることはしないし、過ぎた時間を振り返って立ち止まることもしない人たちだと思います。
でも、今いるファンも昔いたファンも歩いてきた道も全部まるごとひっくるめて大事にしていこう、大事なものは意地でも持って先に行こう、という覚悟みたいなものを感じました。

そしていつか道を下る時が来ても、そうやって皆でその景色を見たいと思ってくれてるなら。

それなら私はまだこれから先を楽しみにできる。

big love and thank youってここ最近の嵐でよく見るけど、こんなにこの言葉が似合う人たちってなかなかいないなって思います。どれだけ清らかなグループなんだよとも思うけど、どうしたってそういう人たちなんだろうな。

アホな事して不器用な程正直者で皆割と考え方が違ってて、でもどこまでもシビアで誠実で大事なところは皆が同じ方向を向いてる。そういう嵐が私はずっと好きです。
もっと素直に単純に、嵐がくれる気持ちを私のできる範囲で受け取って楽しんでいきたいです、今年は。


なんだか支離滅裂ですね。でもすごく思い出深い1年だったので、思ったことを残しておきます。

*1:もちろん彼らの本当の狙いなんて分かりませんが

愛と感謝を込めて

2015年嵐について思ったこと。
完全に日記ですし、すごく根暗な話です。一応結論はポジティブなんですけど、すみません。


去年の始めから、私は嵐のファンをもう続けられないかもしれないと思ってました。
ファンっていうとちょっと違うかな。テレビとかは見るし楽しめるんだけど、嵐の曲を聴いたりコンサート映像を見たりするのが辛くて仕方なくなっていたので、コンサートにはもう行けないかな、と思っていました。
去年の記事を見ると、コンサートに行ったりDVD見たりしてはずーっとぐだぐだ言っているのでよく分かると思うんですけど。

一番の理由は、やっぱり嵐の規模が大きすぎるから。
流れてくる情報が多すぎて、そして情報が増えれば増えるほどどんどん私の中の嵐とメディアで見る嵐が離れて行きました。
嵐はいつも今を大事にしていて、今いるファンを大事にしていて、それは分かってたけどやっぱり嵐が大きくなった事で守らなきゃいけないものが増えている事は実感せざるを得なくて。
私もそういう事に過敏になって、戸惑ってばかりでした。

それと一緒にコンサートは行けなくなるばかりで、たくさんの人がチケットをめぐっていろんな思いをする事になって。
新規とか古参とかそのあたりの話は省きますけど*1、まぁ本当にいろいろあって。

私はそういう悲しさを乗り越えてでも嵐を見続けられるのか、とにかく自信がなくなっていました。
何もかも変わらないなんてありえないし、変わっていくべきだと思います。ただ変化が急激なだけで、誰も何も悪くない。だからこそ辛い。

前にも書いたけど、私はあくまでただのファンとして応援したいんです。
嵐はアイドルで、私は好きで勝手に応援してるだけなんだから。その関係はきれいなものじゃないし、ていうか言ってしまえは無関係だし嵐と一緒に何か乗り越えたわけでもない。彼らは近い存在でもなんでもない。
でも、当たり前だけどファンにはいろんな人がいて、嵐は相変わらず誠実で。

最低だけど、嵐が優しい事が本当に苦しかった。もう調子に乗ってよ、あぐらかいてよ、楽してよ。そうなったら私は離れられる。嵐は本当にすごいね、って遠くから見ることができる。

2015年の夏くらいまで、そう思ってました。


つづく。

*1:私自身は何も思ってないんですけど。趣味なので各々自由であると同時に自己責任だと思います